戦う人たち

 その日、勤務終わりの時間にそこに向ったのはただの気まぐれだった。
 丁度直前に見た患者が難しい疾患を抱えていて、その男のことを思い出していたからかもしれない。
 平日の夕暮れ時、早足で歩く看護師たちの間をすり抜けながら、ガブリエルは男の「自室」へと向った。
「よぉ、手術は終わったのか」
 奥まった場所にあるとはいえ、プライバシーなどあったものではない丸見えの檻の中、いつものようにベッドに腰掛けていた男が顔を上げる。
 CR-S01。
 懲役250年という刑期を、地道なオペで減らしている現在はほぼここの専属医だ。
「ああ。予定よりも早く終わってしまって、今は待機中だ」
「ん? ああ、今日帰るんだっけか」
 何件かのオペをこなしたあとは、期間満了となって囚人は元の冷蔵監獄へと戻される。期間は段々長くなってはいるが、正直行ったり来たりが面倒そうだとは思う。
 まあ、オペの予定がない間、自分で自由に動けないこの男の世話をし続けるのも面倒と言えるかもしれないが。
「またすぐ呼び出しかけるけどな。今度のおれの患者は、多分お前さんじゃないと無理だ」
「……そうか」
 少し真面目な目になった男に笑っていると、ちょうどそこへ病院の事務員が駆けて来た。きょろきょろと辺りを見回し、ガブリエルの姿を目に留めると姿勢を正して真っ直ぐこちらに向かう。
「失礼します、FBIからの護送車が到着したようです」
「おお、時間か。じゃ、またしばらくお別れだな」
 軽く手を挙げて男に別れを告げたとき、更に事務員の後ろから看護師がやってきた。怒りの形相で事務員の腕を掴んでいる。
「ちょっと! さっきあんた患者にぶつかったでしょ! 何も言わず行っちゃうなんてどういうことだって怒ってるわよ! 早く謝ってきて!」
「え、えええ? ちゃんと謝ったんだけど……」
「聞こえなかったんでしょ! いいから早く!」
「で、でも……」
 事務員がちらりと囚人の方を振り返る。
 護送車まで、勝手に行けという訳には行かない。ガブリエルはため息をついた。
「行って来い、こいつはおれが連れて行く」
「あ、す、すみません、ありがとうございます!」
「ほら早く!」
 看護師に急かされながら事務員が去って行く。しばらく見送ったあと、もう1度ため息をついた。
「……すまない、面倒をかける」
「別にお前が謝るこっちゃねぇだろ。ま、とっととあそこから出てきてくれた方が楽にはなるんだけどな」
「…………」
「冗談だ。マジに取るなっての」
 義父の罪を、そのまま被ることを決めた男が申し訳なさそうに俯く。ガブリエルは男を牢から出したあと、そんな男の肩を軽く叩いた。
「じゃ、とっとと行くぜ。あんまり遅れるとまた脱走騒ぎになっちまう」
 男の扱いは、以前と比べて随分緩くなったようには思う。それは単なる慣れからくる怠慢ではあるのだろう。人の多い時間帯に帰るときは、目立つ手錠も解かれていることが多い。
 軽く先ほどの患者の話などをしながら外へと向かう間、多くの医師や看護師が、囚人にも挨拶を返している。
「……ん? 来てねぇじゃねぇか」
 外に出て、いつもの場所へと向った2人を待っていたのは、見慣れない黒い車2台のみ。どう見ても護送車ではない。窓の中が見えない仕様は、いかにも物々しくはあるが。
 前方の車から、スーツ姿の男が2人降りてきたときには、思わず2人揃って身構えた。
「……お前が噂の囚人ドクターだな?」
「おいおい……」
 後方の車からも3人降りてきた。囲まれる形になって、更に緊張感が増す。ガブリエルの背後から、突きつけられたのは間違いなく銃だ。
「おい、勘弁してくれ。おれは関係ないだろう?」
 どういう状況かはよくわからないが、とりあえず両手を軽く挙げてみる。隣の男は微動だにしていなかった。この状況で戸惑っているようにも見える。
「運が悪かったなドクター。お前も一緒に来てもらおうか」
「こいつに何の用だ? オペの依頼ならまず診断に……って、痛ててて!」
 いきなり腕を捻られて思わず呻いた。
 乱暴にも程がある。
 ……マジで勘弁してくれ。
「さっさと来い」
 こちらの言い分など聞いてる時間もないのだろう。
 どう足止めしているのかわからないが、護送車は間もなくここに来るはずだ。
 時間稼ぎも出来ず、2人して乱暴に車に押し込まれる。捻られた腕が痛い。医者の右手を何だと思ってやがる。
「急げ」
 一緒に乗り込んだ男が運転手に一言告げ、車は急発進した。
 面倒なことになりそうだ。










「入れ」
 1時間以上は走っただろうか。
 途中でされた目隠しが外されたのは車を下ろされて数分、古くて狭い建物の中だった。ひびの入った壁や、薄汚れたカーテン。照明だけが新しいのか、部屋の中はやけに明るかった。
 眩しさに瞬きながら囚人の姿を探す。扉付近に居たその男も、こちらを見ていた。手に持っているのは……カルテ?
「何だ、ホントにオペでもさせようってのか?」
 2人を攫ってきた強引さといい、大方まともに病院に行くことの出来ないやばい輩なのだろう。非合法の手術を受け持つ医者など探せばいくらでもいそうだが、おそらくそれではどうにもならなかったオペ。カルテを見つめる囚人の表情は真剣で、やれやれと心の中だけで呟く。煙草が吸いたい。隣に居る男は目隠しをされたガブリエルを歩かせるために掴んでいた手を、いまだ離してくれない。逆隣に居るもう1人の男は銃を手にしている。
 ガブリエルの位置は、人質といったところか。
「手術はすぐ隣の部屋でやってもらう。既に麻酔は効いている。直ぐに始めるんだ」
 おいおい……。
 このぼろい建物の中、どれだけの設備があるのだろうか。
 カルテがあるということは、それを書いた医者は居るのか。
「……わかった。サポートは居るのか?」
 カルテから顔を上げた囚人は、淡々とそう言う。見上げる視線は睨んでいるようにも見えるが、言われた男は軽く笑ってちらりと別の部屋に目をやった。
「使いものにはならんな。散々検査に時間かけたかと思えばいざ手術の段階になって自分には無理だとか抜かしやがった。あんた、天才外科医なんだろ? 1人で何とかしろ」
 無茶を言う。
 診察した医師にとっては、オペを実行してもしなくても地獄といった状況だったに違いない。患者を殺してしまうよりはマシな方を取ったか。
 ……こりゃ、こいつが失敗したらおれたちの命も危ないんだろうな。
 どんな状態なのか。
 カルテが見たい。
 ただ難しいというだけなら、そう心配することもないのだが。
「不可能だ。この手術はスピードが要求される。1人でやればそれだけロスが大きくなる」
 だが、囚人はきっぱりとそう言い切った。男の顔がイラついたように歪む。
「お前なら出来るって聞いたんだがなあ? あの野郎、更におれたち騙したってのか?」
 男の顔が、先ほど見た方向へと向く。あちらの部屋に、その医者が居るのか。漂う緊張感に怖れる様子もなく、囚人はガブリエルに目を向けた。
「サポートが居れば可能だ。……ゲイブを離してくれ」
「ああ?」
 男の目が今更気付いたようにガブリエルに向けられる。
 白衣を着ているが、ついでで連れてきたので医者として認識していないのだろう。唐突に言われた言葉に一瞬思考が止まっているのがわかる。
「……妙な真似すんじゃねぇぞ?」
「……この状態でどうしろってんだ…」
 腕がゆっくりと離された。突きつけられた銃はそのままだ。
 ガブリエルが右手を出すと、囚人がその手にカルテを乗せてくる。
「……なるほどな」
 男たちが、カルテを眺めるガブリエルと囚人を真剣な目で見つめている。手段はどうあれ、救いたい相手には違いないのだろう。
「頼めるか?」
「やるしかねぇんだろ。とにかく、患者を見せてもらうぜ」
 カルテを囚人に返し、男たちに呼びかける。麻酔をかけたのはいつだ、というか設備はどうなってる。
 男たちが慌てて返す答えを聞きながら、2人は急ごしらえの「手術室」へと入って行った。










 サイレンを鳴らしながら猛スピードで救急車が走る。
 揺れる車内で患者の怪我を処置しながら、マリア・トレスは叫んでいた。
「おいっ頑張れ! もうすぐ病院に着くぞ! っしゃぁ、右腕終わり! 次!」
 声を途切れさせることもなくテキパキと処置を済ませていく。折れた右足を矯正している間に悲鳴が上がる。
「これくらい我慢しろっ! 一気にやった方が痛みもマシだ! おい、そこ! ぼーっとしてんじゃねぇっ、包帯寄越せ!」
「あ、は、はい…!」
 マリアの手際に見とれるように呆けていた男が慌てて包帯を取り出す。奪い取るようにそれを掴んで患者の足を固定していく。
「よしっ、終わり! 大丈夫か? 手当ては終わったぞ!」
「うう……」
「リザルガムファーストケア、着きました!」
「良し、搬送急げ!」
 車が止まり、後部ドアが開くと同時にマリアはそこから飛び降りる。建物の方を振り返ったとき、慌てたように駆けて来るハンクとトモエの姿が目に入った。ただごとではない様子にマリアが眉を顰める。
「あ、マ、マリア……!」
「何だ、どうした? 何かあったのか?」
「ド、ドクターが……今日帰るはずだった彼と、ガブリエル先生が、何者かに連れ去られたと……」
「はあっ!? 何っだそりゃ!?」
 がたん、と車の後部から担架が下ろされる。こちらはもう他の隊員に任せておけばいいだろうとマリアが横に引いたとき、患者が右腕を伸ばしてマリアの腕を掴んできた。
「おわっ、何だ? どうした?」
 怪我した腕で弱々しく握られた腕、何か訴えたいことがあるのだと判断してその口元に耳を寄せる。
 患者が途切れ途切れに言ってきた。
「や、奴らだ……お、おれがここの奴なら、やれるって、言ったから……」
 一瞬何を言っているのかと思ったが、これはまさか、あの囚人とゲイブのことか?
 マリアの背後でハンクとトモエが顔を見合わせる。
「お、おれは逃げてきたんだ、もし失敗したら、殺される……」
 男の傷は交通事故によるものだったが、殴られたような痣があるのには気付いていた。逃げる最中の事故か。胸倉掴んで問い詰めたい気持ちを抑えていると、先にハンクが叫んだ。
「場所はどこだ! 彼らはどこに連れて行かれたんだ!」
「あ、チェ、チェーンズ通りの……」
 患者を搬送しながらも声だけはしっかり聞き取る。
 そしてマリアが振り返ったときには、既にハンクとトモエの姿は見えなかった。
「って、どこ行きやがったあいつら……!」
 患者がオペ室に運ばれたあと、廊下を走って引き返す。空に走る影が見えた気がした。










 ビルからビルへ。家から家へ。
 青い影が駆け抜ける。
 ドクター・ハンク……いや、キャプテン・イーグルは正義のために跳んでいた。
「一体何が目的なのか……」
 思わず漏らした低い呟き。そこまでを聞く余裕はなかった。友のため、そして善良な市民に銃を突きつけ攫った卑劣な男たちを退治するため、キャプテン・イーグルはひた走る。
 そこへ、小さな影が併走した。
「……ム? あなたは……」
「お供致します、キャプテン・イーグル」
 黒い髪をなびかせ、和装と白衣のままイーグルと共に走る女性は息一つ切らすことなくぴたりと付いてきた。イーグルは一つ頷いて前を見据える。
「ありがたい。では、このままのスピードでよろしいですかな?」
「ええ。……いえ、むしろもっと早く。急ぎましょう、何が起こっているかわかりません」
 運ばれた男には殴られた痕があった。それを思い出してハンク……いや、イーグルも少し気持ちに焦りが生まれる。
「そうだっ、それにそう言えばあの付近は治安が悪いことで有名でした。何事もなければ良いが……!」
 更にスピードを増したイーグルに、女性は手にしていたカバンのようなものを掲げる。
「念のため、救急用具はお借りしてきました。私の専門は内視鏡なのですが…」
 さすがにそこまでは持ってこれなかったのだろう。イーグルも似たようなものだった。
「充分です、さすがはタチバナ先生だ!」
 そこまで言ったとき、ビルの隙間が大きく開いた。イーグルはスピードを緩めない。
「キャプテン・イーグル! ここは左から迂回を!」
「それでは大きな時間のロスになるっ! このまま行きますぞっ!」
「え、きゃっ……!」
 トモエをほとんど小脇に抱えた状態でキャプテン・イーグルは飛ぶ。
 少々の重量は関係ない。このくらいの距離、慣れたものだった。










「……外が騒がしいな」
「腫瘍の摘出を完了した。閉創を頼む」
「おっと、了解した。あとは腹だけか」
「ああ。バイタルが下がってる。急ぐぞ」
 男の処理のスピードは早い。患者の体力を考えると時間はかけられない。皺だらけの男の皮膚を縫合しながら、ガブリエルは扉の外の気配に耳を澄ます。一際大きな怒鳴り声が聞こえたあとは大分静かになったが、古い建物だ、あまりどたばたされるとこちらへ振動が響く。一言注意してやろうかとも思ったが、今は手が離せない。
 閉創が終わり囚人のサポートに戻る。既に開腹が終わり、止血と腫瘍切除をほぼ同時に行っているように見える。本当にサポートが必要なのか。相変わらず信じられない手の動きだ。
「ちっ、随分荒れてんな」
「おそらく薬物の影響だ。……内視鏡処置の方が良かったかもしれない」
「狙うならトモエだったってか? そういや何でお前に……」
 言いかけたとき、どんっ、と壁に何かが叩き付けられるような音がした。振動が、手術台にも伝わる。
「おわっ……っと! 何やってやがる!」
 さすがに振り向いたとき、囚人が僅かに固まっているのがわかった。はっとしたように動きを再開するが、何かがあったのにはさすがに気付く。
「おい、どうした」
「……ヒールゼリーが……」
 処置を続けながら、ちらりと見たのはビンごと倒れ、床に中身を吐き出しているヒールゼリー。慌てて拾ったが、一度逆さになったのか、中身はない。
「さっきの振動かっ、他にねぇのか!」
 辺りを見回すが、そもそも薬も器具も極端に少ない。失敗の出来ない処置なのだ。
 大体、入ってきたときに確認している。ヒールゼリーはこれ1本だ。
「このままでは……」
「……お前はそのまま続けてろ。すぐに戻る」
 ヒールゼリーは万能医薬品だ。高価だが、それほど希少なものでもない。ガブリエルがドアを開けたとき、すぐさま目に飛び込んできたのは、明らかに顔面を殴られた血だらけの男だった。
「……何患者を増やしてやがる」
 血まみれの男は壁にもたれかかるようにして座り込んでいる。呼吸はしているし、意識はあるようだ。体の震えはない。他に傷は、と思わずざっと観察していると、最初に手術を指示した男がガブリエルの隣に立つ。
「手術はどうした、ドクター」
「まだ途中だ。あんまりこっちが騒がしいんで注意しにきた。患者が起きちまったらどうすんだ」
「ふざけたことを言ってないで直ぐに戻れ。……もし失敗するようなことがあれば、」
「3人まとめてご臨終ってか。そうならないために必要なものがあんだよ。お前らが暴れるからヒールゼリーを落としちまった」
「何……?」
「手術にはあれが必要だ。大体量が少な過ぎんだろ。普通に使ってもぎりぎりだ」
「……この辺りに薬を取り扱っているところなど……」
「……だろうな。……救急隊なら何分で着く?」
「それは出来ん。何のためにお前達を連れてきたと思っている」
 男の銃がガブリエルに向く。別に携帯を持っているわけではないので、ここから連絡出来るわけでもないのだが。
 ガブリエルは一つため息をついた。
「おい、いい加減にしろ。いいか? あの患者は手術後も通院…いや、入院しての処置が必要だ。ただでさえぼろぼろの体でこんな場所に居て良くなるわけねぇだろ! 薬も知識もない、お前らにあの患者の面倒見きれんのか!?」
 段々強くなる口調に、男が一瞬引く。だが直ぐに睨みつけるような視線に変わった。
「……ならば、手術後も貴様たちに居てもらうだけだ」
「……そうくるかよ」
 わざわざ目隠しでここまで連れてきたぐらいだ。
 無事成功すれば帰す気はあるのだと思っていたが。
 どうしたものか、とにかく今はヒールゼリーがないと手術を終えられない。
 ガブリエルがちらりと窓の外に目をやったとき、カーテン越しに妙な影が迫ってくるのが見えた。
「……ん?」
 がしゃああんっ、と派手な音と共に窓が砕け散る。部屋中の男の視線が集まる中、青いスーツに身を包んだ大男が、そこには立っていた。
「キャプテン・イーグル参上っ! ゲイブ……いやっ、ドクター・カニンガム! 無事か!」
「……………」
 ガラスで切ったのか、腕や肩に赤い血筋が見える。
 絶句したのはガブリエルだけではなかった。
 男たちも完全に動きが止まっている。
 そして仁王立ちした大男の後ろからひょっこり小柄な女性が顔を出した。ガブリエルは今度は素直に驚く。
「キャプテン・イーグル、肩から出血が」
「おおっ、すまん! だがこれしき問題ない! それより悪人はどこだっ!」
 目の前だ。
 ガブリエルはゆっくりと銃を持っている男から遠ざかろうとするが、さすがにそれで我に返ったのか、男がこちらに目を向ける。冗談じゃない。人質にでもされたら先ほど以上に居た堪れない。逃げようとするガブリエルに男が銃を持ったまま叫ぶ。
「待てっ、貴様動く……」
 な、までは言えなかった。
 キャプテン・イーグルの鉄拳が、男の顔を吹き飛ばした。
 ……怪我人、また一人追加。
「な、何だ貴様っ」
「ぼ、ボスっ……!?」
 ボスだったのか。
 トップが真っ先にやられてしまって混乱する中、ガブリエルに近付いてきたのはトモエだった。
「カニンガム先生、お怪我はありませんか」
「あー……まぁ、無事だ。ってかお前らどうやってここに……」
「それは後でお話します。あの、彼の方は……?」
「ん? あ、ああ、あいつなら…ってそうだ、」
 ヒールゼリーを、と言いかけたとき、トモエの持ったカバンに気が付いた。
「おい、それ救急用の、」
「あ、ええ。もし怪我をされてるといけないと思いまして……」
「貸せっ、ヒールーゼリーも入ってるな?」
「え? ええ、勿論。あ、でもこの方たちの手当てを……」
「後にしろっ、死にゃしねぇよっ」
 カバンを開きながら手術室への扉を開ける。
 囚人が顔を上げた。
「……いいタイミングだったみたいだな」
「ああ……これで終了だ」
 手渡したヒールゼリーを囚人が受け取る。
 患者の容態は完全には安定していないが、山は越えただろう。
「お疲れ」
 とりあえず労わりの言葉をかけて、ぽんと男の肩を叩く。
 短い手術だったが、額に浮かぶ汗が疲労を物語っている。
 背後で暴れている男と怪我人のことが頭を過ぎったが、そっちの処置ぐらいはこちらで引き受けてやろう。
 ひとまず怪我人を増やし続ける馬鹿を怒鳴りに行くかと、ガブリエルは再び元の部屋へと戻って行った。


 

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