釣り

「…何だ、この匂い」
 城中央部へ続く長い廊下を歩いていたリューグはぴたりと、唐突に足を止めた。隣を歩いていたラハルもそれに合わせて止まったものの、あまり気にしてないように言う。
「食堂からだな」
「そんなことわかってる」
「誰かがケーキでも食べてるんじゃないか」
「それにしたってこんな…」
 甘ったるい匂いが充満する廊下でリューグは首を傾げた。まだ昼時。普段であれば肉だの魚だのの入り混じった、食堂独特の匂いがしているのだが。
「それより早く行くぞ。匂いで食欲なくなったのか?」
「んなわけあるか!」
 振り切るように大声を出してリューグは歩き始める。腹は減っている。匂いが気になって食べられないなんて繊細な神経をしているわけでもない。ラハルが付いてきているか確かめることもないままリューグは大またで食堂に踏み込んだ。
「げ…」
「どうし…」
 リューグと、続いて入って来たラハルが絶句する。
 食堂は混んでいた。昼時だから当然だ。
 席は全て埋まっていた。それも珍しいことではない。
 全員がケーキを食べていた。……ありえない。
 二人はしばし呆然としてそれ以上進むことが出来なかった。



「……すみません」
「今日は普通の料理は…」
「出せないんです、すみません」
 何とか気を取り直してレツオウの元へ行くと心底申し訳なさそうに謝られた。頭上にでかでかと「ケーキ全品7割引!」など書かれているので、まあサービスセール中なのだろうと無理矢理納得したというのに。
 ケーキの材料は本当の意味で腐りそうなほど有余っているのに普通の食材がないというのが原因だった。
「食材の調達は…」
「ああ、今王子様が出てくださってます」
「あの殿下はどこにでも行くな…」
 半分呆れ気味に言うと感謝してます、と返された。リーダー自らが食材の調達をしている軍なんてここぐらいのものだろう。最も食材の半分以上はモンスターから仕入れているようなので趣味と訓練を兼ねているのだが。
「他の奴らどこで食べてんだ?」
 王子の行動力に感心しつつも、とりあえず当面の問題は食事をどうするかだった。食堂に座っているのはほとんどが女性。女性に囲まれたカイルの姿も見えるが、むしろ当然の光景だ。いつもこの辺にたむろしているヤールや、舞台に立っているコルネリオの姿も見えない。リューグの疑問にはレツオウの隣からひょっこり顔を出したシュンミンが答えた。
「みんな外でお魚パーティーやってるの! 自分で釣って食べるんだよ!」
「外?」
「ああ…遺跡近くで煙が上がってたな、そういえば」
「お前気付いてたのか?」
「一応フレイルに見に行かせた。問題はなさそうだったから放っておいたんだが」
「外かぁ」
「今日は魚を釣って食べて頂くしかないんです。一応ログさんたちも釣り場にいらっしゃいますし…。よろしいでしょうか」
 レツオウの言葉には頷く他なかった。



「あ、こら! そんなもん入れんな! 魚が逃げちまうだろ!」
 その大声に思わずランスの足を掴み、ランスの動きがぴたりと止まった。
「……だな。ずるはするなリューグ」
「……横にフレイル連れてる奴が言うな」
「おれたちは一心同体だ。常に一緒に行動して何が悪い」
「そりゃそうだがそういう状況じゃねぇぞ、今」
 貸された釣り舟で釣り糸を垂れながらリューグはため息をつく。釣れるのは長靴ばかりだ。とても食べられたもんじゃない変な魚は釣れたが。こうなったらランスに取りに行かせようとしたところをスバルに止められてしまった。広い湖にはかなりの釣り人が居るのだがしっかり見られていたらしい。
「しかしこれじゃいつまで経っても飯にありつけねぇぞ」
「大人しくどこかの町へ行くか」
 森まで行って狩りをするという手もあるが。
 ラハルがそう続けたのに対しリューグは大きく首を振る。
「このまま引き下がれるか! ランス、餌追加だ。スバルから貰って来い!」
「キュアアア〜!」
 とん、とランスが渡しの方にジャンプする。水に入らないように勢いをつけたためリューグの釣り舟が大きく揺れる。リューグが慌てて船にしがみついた瞬間、釣り竿は手から離れぽちゃん、と水に沈んだ。
「あ……」
「何をやってるんだ」
「うるせえ。……っと」
 沈んだ竿はすぐに浮かんできた。少し離れたそれにリューグは手を伸ばす。ぐらぁ、と船がゆっくりと傾き、まずいと思ったときには遅かった。
 ざばーん、と大きな音と共に、リューグの船はひっくり返った。ランスに餌を渡していたスバルが慌てて振り向く。
「こらあっ! 何やってんだてめえ!」
「……すまん」
 沈んだリューグに変わってとりあえずラハルが謝る。浮いてきたリューグは情けない顔で裏返った釣り舟を掴んだ。
「あー……今日は厄日だ」
「早く上がれ。魚が逃げる」
「わかってるよ。……あ」
「ん?」
 リューグの下を何か大きなものが通っていく気配がした。
 真っ直ぐに、ラハルの釣り舟に向かっている。
「やべぇ! 逃げろ!」
「は?」
「キシャアアアア!!!」
 ざばーん、と大きな波しぶきを上げてビャクレンがラハルの船をひっくり返した。フレイルが叫び声を上げてそんなビャクレンに飛び掛る。
「……ここでフレイル連れてりゃああなるだろ」
「……もっと早く気付いてくれ」
 揃って湖に顔を浮かべながら二人は深いため息をついた。



 翌日。
 王子が持ち帰った食材で食堂は元通りの雰囲気を取り戻した。
 遠征に付き合っていたチーズケーキ好きの甘党が一人、ケーキセールのことを知って落ち込んでいた。





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