笑顔

「何だありゃ」
 騒がしさに覗き込んでみると、釣り橋付近で見張りと押し問答を繰り広げる男たちの姿が目に入った。武装しているようには見えないが、10数人のがっしりした男たちはその気になれば見張りなど素手で押し倒して行きそうに見えた。これは助けに入った方がいいのかとヤールが思っているとちょうど階段下から上がってきたゲッシュと目が合う。
「あー、最近この辺に来た旅人たちらしいんですけどね」
「知ってんのか」
「昨日も一人来てましたから。あれで噂が広まったんでしょうね」
「何の噂だ」
「美人の紋章師」
「ああ…」
 思わず苦笑いが浮かぶ。この城に専属で居る紋章師のジーンは派手な外見に露出の激しい衣装でどの町に行っても注目を浴びている。別の町で店を構えていたときはわざわざジーンの姿を見るためだけに訪れる客の方が多かったという。それにしてもこんな辺鄙なところにある城にまで訪れてくるとは随分暇な男たちだ。美人を見たい気持ちはわからないでもないが、ヤールなら正直面倒で引き返してしまう。
「どうすんのかね。別に通しちまってもいいんじゃないか」
 何人かの野次馬が遠目にそのやり取りを見ているが、誰も助けには行っていない。ヤールも原因を知るとなんとなく動くほどのことでもないように思えてきた。
「そもそも今日ジーンさん居ないんすよ」
 ちゃんと説明してたんですけどねぇ。
 ゲッシュがちらりと城の方に目をやった。
 なるほど。諦めがつかないのか嘘だと思っているのか、単に見張りに文句を言っているだけなのか。
「あれ、行くんすか」
 そちらに向かい始めるとゲッシュが追ってくる。
「あのままじゃあそこ、通れねぇだろ。お前さんも行くつもりだったんだろ」
「ま、そうなんですけどね」
 よっ、と掛け声をかけてゲッシュはいつもの武器を肩にかけた。別に戦うつもりではないのだろうが。がっしりした体に棍棒のような武器。農民と名乗ってはいるが自分よりも威圧感はあるな、と何となくヤールはそう思った。



「すんません」
 ざわついた食堂内で頭を下げたゲッシュに正面のベルナデットとネリスはまず戸惑いの表情を返した。ヤールはそっぽを向いて二人と目線を合わせようとはしない。
 あのあと実力行使に出ようとした男たちと騒動になり、一人が橋から落ちるという事態となってしまった。幸い大した怪我はなかったが、それに加えて瞬きの手鏡で遠征から帰ってきたジーンが城から出てきてしまい、嘘をついていたのかと男たちの怒りは更に激しくなった。最終的にはジーン自らがなだめてくれたから良かったものの。
「ヤール殿は反省してるんですか」
 何でおれが怒られなければならないのだろう。
 ゲッシュに対してはあなたは悪くない、頭を上げてくれと言っておいて。騒ぎを起こしたのは男たちだし、自分はそれを仲裁しようとしただけだ。まあ最終的に男を突き落とすことになったのは自分だが。わざとではない。不可抗力だ。
「はいはい、悪かったよ」
 それでも言い訳も面倒でヤールは適当にそう返す。だがネリスの怒りは増しただけだったようだ。当然か。
「ヤール」
 そのとき、それまで黙っていたベルナデットが静かにヤールの名前を呼んだ。
「……はい」
 漸くそちらに目を向ける。ベルナデットの目は厳しいが、怒っているようには見えない。それでも何を言われるかと少し身構えたがベルナデットは意外なことを言った。
「そこのお塩とって」
「……はい?」
「ベルナデット様!?」
 さすがに目を丸くする。ネリスも驚いて叫んでいた。ヤールはテーブルの端の塩にとりあえず目をやる。ほとんど反射的に手を伸ばしていた。
「ネリスも、早く食べないと冷めるわよ」
 ベルナデットは受け取った塩を料理に振り掛けると何事もなかったかのように食事を始めた。それまで全く意識していなかった目の前の食事が急に匂いを発してきたような気がする。ヤールが箸を手に取るとネリスは何か言いたそうに口を開いたが諦めたように閉じてしまった。ゲッシュもそれを見て漸く食事に手を伸ばす。
「ヤール」
「はい」
「騒ぎを起こすのは構わないけど」
「構わないんですか!?」
 ネリスが口を挟むがベルナデットは気にせず続ける。
「怪我したりさせたりだけは勘弁してね」
「……りょーかい」
「ゲッシュさんも」
「あ、は、はい」
「多分あそこはこれからもトラブルはあるだろうから、騒ぎにならないよう見ててね」
「え……はい」
 あれ?
 ベルナデットの言葉に疑問を思えつつも誰も何も言えない。
 ヤールがベルナデットに目を向けて、漸くベルナデットがにっこりと笑った。
「食べないの?」
「あ……食べます」
 笑顔に一瞬呆然としていると首を傾げられる。漸く食べ始めながらこの人には敵わないな、と何となく感じていた。




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