風呂

「何をやってるんだ、お前?」
 風呂の前でうろうろと歩き回る図体のでかい男にオロクはとりあえず声をかけた。ヴォリガだ。無視して入ろうかとも思ったがよく見たらミルーンが居ない。遠征中だろうか。代わりの番の姿も見当たらないが。
「オロク! いや、ちょっと…ちょっと、こっち来てみろ!」
「ん?」
 引っ張られてそのまま男湯に連れていかれる。脱衣所には誰の姿もない。服を入れる籠が三つほど埋まっているので誰か入っているのだろう。
「何だ?」
「いや、その…」
 何故か風呂場から顔をそらして口ごもるヴォリガ。風呂の中か? と引き戸に近づこうとすると再び腕を取られた。
「ま、待て待て待て! ふ、服だ! 服を見てみろ!」
「服?」
 いぶかしげな顔をしつつも籠の中を覗き込む。
「あ…」
「わかったか! 出るぞ!」
 オロクがそれを見たのを確認した途端ヴォリガは脱衣所から飛び出した。オロクもとりあえずそれに続く。
「…どういうことだ、あれは?」
「だから、それがわからんから困ってるんだ!」
 気付かずそのまま入るところだった、とヴォリガは汗をかきながら話す。風呂場にあった服は…明らかに女物だった。
「男湯で…間違いないよな」
「間違いない! おれがここに来てから暖簾が入れ変わってるのは見たことない!」
 温泉によっては日によって男湯と女湯の場所を入れ替えるところがあるのは確かだが、ここはそんなことはない。第一男湯も女湯も同じ作りだと以前ミルーンは言っていた。
「……ミルーンは居ないのか」
「だからどうしようかと…」
「あれー。何やってるんですかー」
 もう面倒なので今日は帰ろうかと思ったところに突然背後から間延びした声が聞こえてきた。振り返らなくてもわかる。レルカー出身の若者、女王騎士のカイルだ。オロクは口を開きかけて一瞬躊躇う。
「カイル…」
 ヴォリガも何故かそこで言葉に詰まった。そして一瞬間を置いて
「今風呂に入るな」
 とそれだけ言う。カイルが当然のように戸惑った顔をした。
「え、何でですか。あれ、そういえばミルーンさんは?」
「居ないんだよ。カイル、何か聞いてないか?」
「さあ…。今日はおれは遠征から外れてたんで。でもいつも誰かは居ますよねー」
 掃除の時間でもないし、とカイルは首をかしげながら男湯に向かう。覗いてみるつもりだろう。思わず「あ」と声を上げるとカイルが「ん?」少し振り向いた。
「ちょっと待てカイル! 入るなと言ってるだろう!」
 慌ててヴォリガが引き戻す。無理矢理引っ張られてカイルが僅かにバランスを崩す。
「ちょ、ちょっと何なんですか一体」
 さすがに不満気な声をあげるカイルにオロクは仕方なく説明する。脱衣所に女物の服がある。中に入っているようだから少し待てと。
「え、何で男湯に?」
「知るか」
「誰が入ってるんですか」
「だから知らん」
 見覚えのある服ではあったが誰のものかなど咄嗟にわからない。それほどマジマジと見たわけでもないし、他人の、しかも女物の服を漁るわけにはいかない。
「いや…多分1人は…あれだ、あの派手な格好した姉ちゃん…」
「ジーンさん?」
「違う違う。ほらいつも傘持ってんだろ」
「ジョセフィーヌか」
 オロクが呟く。自分が見た服はそれではなかった気がするが、そういえばそんな色合いのものも隣にあった気がする。
「ジョセフィーヌさんかー。じゃあ覗いたら怒られそうかな」
「覗くつもりだったのかお前!」
「いや、とりあえず確認しようかと」
「気付かなかったとでも言うつもりか」
「え、だって普通なら気付かないでしょー。男湯で誰が入ってるかなんて気にしないじゃないですか」
「おれは傘に躓いたんだ…」
 ヴォリガがぼそっと言う。なるほど、それで気になったのか。確かに普通に入っていれば気付かない可能性は高い。
「あー、きゃーとか言われて水かけられるぐらいなら、」
「いいからもうやめろ。誰か女性を呼んで来い」
 オロクは呆れてそう言った。カイルはりょーかい、と軽く返して外に向かう。だが出る前にもう1人入って来た。
「あ、ミアキスちゃん!」
「あ、どうもー」
「ちょうど良かった。ちょっと男湯入ってくれない?」
「…………はい?」
 愛想良く笑ったミアキスのトーンが一瞬で変わる。笑顔のままではあるが一瞬場が凍りついた。
「あ、いや、そのね」
 慌てるカイルに、フォローも遅れてしまった。



「知りませんわ! 確かにこちらに女湯の暖簾がかかってましてよ!」
「そうだよー。私も見たよ間違いないよ」
「わ、私も…。ちゃんと、確認して入りますし…」
 ミアキスの言葉に風呂から上がった3人は口々にそう言った。ジョセフィーヌにノーマにチサト。3人揃って間違えるということも確かにないだろう。ということは誰かのいたずらか。
 そこへミルーンを探しに行っていたカイルがモルーンを連れて帰ってきた。
「あれ?」
 ミアキスが疑問の声をあげるとモルーンはちらりと女たちを見上げて次にオロクたちの方に目を向けた。
「ミルーンさんやっぱ遠征中だって。今日は代わりの人居なかったからモルーンくんに頼んでたらしいんだけどねー」
 全員の視線がモルーンに集まる。ジョセフィーヌがそこで「そうですわ!」と声をあげた。
「確かにあなたが居ましたわ。勝手に居なくなるなんて無責任じゃありませんこと?」
「そうだよー。危うくこの人たちが入ってくるところだったんだよ」
 ノーマがオロクたちの方を指す。それは本当に事実だ。それにしても自分たちは悪くないはずなのに何だか妙に居辛い。モルーンは開き直ったかのように胸を張って言った。
「知らねぇよ、たまたまそこに居るからって番頼まれただけだっ、おれは引き受けてもねぇ!」
「暖簾はどうして入れ替わってたんですかー?」
 今度はミアキスがモルーンの前にかがみこんで言う。視線の位置を合わせられてモルーンが思わず一歩後退るった。
「し、知らねぇよ」
「あなたが居なくなったあとで誰かが替えたってことですかぁ?」
「そ、そうだよ」
「正直に言いましょうー?」
 きらり、とミアキスの手に何か光るものが見えた。
 ……おいおい。
 オロクは呆れるが誰も止めはしない。女性陣は多分怒っている。止めたら多分自分たちも怒られる。
「何だよ、別にどうでもいいじゃねぇかよ。この間だって女湯入っていく男居たぞ! さっきだって女湯入りたいって男が居たから…」
「暖簾を〜か〜え〜た〜ん〜で〜す〜か〜」
 モルーンの言葉が止まった。
 ミアキスは手の中のものを仕舞うとにっこり笑う。
「お姉さん帰ってきたみたいなので後は任せますね」
 ゆっくりと入って来たミルーンにモルーンは振り返りもしない。固まっている。
「……おい、オロク」
 こっそり近寄ってきたヴォリガが小声でオロクに言った。
「今日風呂入れんのか?」
「……諦めろ」
 ミアキスが風呂場を去ったのを合図にするように全員でその場を去った。
 モルーンとミルーンを残して。
「……誰かに頼まれたのかな」
「……人間の頼みを聞いてやることなんざないだろうになぁ」
 ヴォリガがため息をつく。
 助ける気はなさそうだった。





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