見捨てられた島への上陸2

 廃墟となった家の中に、チョッパーはゆっくりと足を踏み入れる。カーテンはなく、割れた窓から僅かに月明かりが見えていた。だが元々日もあまり当たらない場所なのか、その光は頼りなく、部屋の中のものはほとんど黒い影にしか見えない。目を凝らしながら近づくと、ぎろり、と睨まれた気がして悲鳴を上げた。思わず目をそらせば、そちらにも目。あちらにも目。気付けば辺り一面囲まれている。視線を落とせば、下からも、目。
「ぎゃああああああ!」
 限界だった。チョッパーは慌てて踵を返すと外に向かって駆け出そうとする。だがすぐに、先ほどはなかったはずの柱にぶつかった。いや、柱じゃない。
 人の足。
 おそるおそる顔を上げれば、今度は上から見下ろす、目。
「ぎゃああああああ!」
 3度目の悲鳴に、その目が歪んだ気がした。
 怖い。先ほどまで見ていたどの目よりも怖い。
 もう1度部屋の中に戻ろうとしたとき、後ろから声がかかった。
「落ち着け。人形だ」
「……あ、ローか」
 聞き覚えのある声にほっとする。ドキドキと高鳴る心臓を抑えて一息ついた。
 そしてようやく落ち着いて見渡せば、言われた通りチョッパーを囲んでいるのはたくさんの人形であることがわかる。半分以上は倒れているが、棚の上にあるものが多く目線は近かった。サイズは子どもよりも小さいが、やたら精巧で本当に視線を感じる。倒れている人形など、恨みがかましい目を向けているようにしか思えず、震えが走った。
「すげぇな、生きてるみてぇだ…」
「…生きてるのも居るな」
「えっ!?」
 そんなローの返答に反射的に後退さる。どれが? どこだ!?
 ローの足に突き当たったあと慌ててローを見上げてみる。ローは人形より少し遠くを見ていたが、何があるかはわからない。
 だが同時に、がたんと何かが動く音。廊下を影が横切るの見えた。
「Room」
 ローの能力が広がり、思わず身構える。
「シャンブルズ」
 次の瞬間には、チョッパーの前にあった3体の人形が本物の人へと変わった。
「え、え? 誰だ…?」
 ここは見捨てられた島──住む者のない廃墟だったのではなかったか。
 目の前に現れたのは3人の子どもだった。中心にくすんだ金髪をした男の子。10歳ぐらいだろうか。隣に、よく似た顔立ち、年齢の女の子も居る。男の子の腕を握りしめているのは2人より少し年長らしき長髪の少女だった。
 3人とも何が起こったのかわからないのだろう。座り込んだ姿勢のまま、目を丸くして辺りを見回している。
「…少し聞きたいことがある」
 そこへかかった低い声に、びくりと3人は上を見上げた。
 怯えたように寄り添い合う姿に、まあ当然だろうとチョッパーは思う。
「怖がらなくてもいいぞ。おれたちこの島から出る方法を探してるだけなんだ」
 なるべく笑顔で近づけば、3人の視線はこちらに向いた。戸惑ったような顔でこちらを見ている。
 ──グランドラインを進むに連れて、チョッパーを化け物と呼ぶ者は減ったように思う。何が起こっても不思議ではないのがグランドラインで、新世界だ。
「……お前ら、海賊だろ」
 ようやく中心に居た少年が言葉を発した。
「え、わかるのか」
「そりゃ……」
 少年は一瞬言い淀んで、続ける。
「顔怖いし」
「顔!? おれの顔そんなに怖ぇの……あ、ローか」
 納得したチョッパーに背後でローが顔をしかめていたが、そんなものは見えなかった。
 どうにも、この男と行動を共にしているということがまだチョッパーの中で浸透していない。
「顔怖ぇし海賊だけど大丈夫だぞ。さっきだって子どもの治療してくれたし。あ、おれたち2人とも医者なんだ!」
「治療…? 医者…? 海賊で…?」
 わけがわからないという顔をする少年に、あれ、何か説明が足りなかっただろうかとチョッパーも首を傾げる。あ、だから怖がらなくてもいいともう1度言葉にしなきゃ駄目なのか。
 だがそこでふと、チョッパーは少女たち2人の視線に気付いた。
 チョッパーが治療、という言葉を出したときに2人の視線が向かった先。
 座り込んだ少年の足首。
「…っ! お前、どうしたんだ、それ!」
 右足首にハマっているのは足枷だった。短い鎖の先には何もハマってない枷が繋がっている。本来は足首同士を繋ぐものだろうが、片方だけなので歩行に支障はないだろう。だが邪魔なものには違いない。外そうとしたのか、枷も、枷の周りも傷だらけだった。ろくな手当も出来ないままだったのが古傷から察せられる。枷の隙間からは汚れのない白い肌が見えて、かなり昔からつけられていることもわかった。
 そして足首の傷の中には、まだ新しいものもあって、チョッパーは思わず手を伸ばす。
 だが瞬間、目の前を何かが遮った。
「触るな」
 背後から振ってきたのはローの声。チョッパーと少年の前に突き出されたのは、鞘に入ったままのローの刀だった。
「な、何するんだよ、あの足、治療しないと」
「お前…」
 チョッパーの言葉には反応せず、ローは少年を見ている。
「能力者か?」
「は?」
 警戒するようにローを見上げていた少年は、その言葉にぴくりと反応する。目に迷いが走った。
「ち、違うよ、シバくんは能力者じゃないよ!」
 答えたのは長髪の少女の方だった。初めて聞いた声は、思ったよりも澄んでいて甲高い。身長があるだけで見た目よりも少し幼いのかもしれない。もう1人の少女は声を出さず頷いて同意を示している。
「なら、どうしてそんなものをつけてる」
「え…」
 チョッパーが戸惑いの声を発した瞬間、少年が動いた。
 ローの刀を押しのけるように左手を突き出し、枷のついた足をローに向けて振り上げる。ぶん、と鎖に繋がった輪が空気を切る音がした。だが、かしゃん、と思ったより軽い音を立てて、その鎖はローが無理矢理引き戻した刀に遮られた。少年の足も止まる。勢いのまま刀に巻き付いてしまった鎖がすぐに外せず、少年は片足をあげたままたたらを踏んで、結局その場に尻もちをついた。
「シバ!」
「シバくん!」
 少女2人が慌てて駆け寄る。
「何の真似だ」
「くそっ…」
「お、お前いきなり何してんだよ! こいつ、結構強ぇんだからな! っていうかこれ、ひょっとして…」
「海楼石だな」
 少年の行動に慌てたチョッパーが混乱のまま叫んでいると、ローが後半の疑問に応える形でそう言った。だから、触るなと言ったのか。枷周りの傷の治療なら枷に触れずには難しい。チョッパーも能力者だ。触れれば力が抜ける。
 そして能力者か、と聞いたワケもわかる。能力者ではないなら、何故こんなものを付けられているのか。どう見ても、まだいいとこ10代前半。10代にもなってないかもしれない幼い子供が。なんだか嫌な想像ばかりが巡る。枷なんて、そのものが異常だ。
 直球で思ったまま問いかけたチョッパーに、シバは少し顔をそらした。
「この島、いろんなものが流れてくるんだけど…」
「ああ」
「前に海軍の船が流れてきたことがあって…」
「……うん」
「……残骸から拾ったこれで海賊ごっこして遊んでて…」
「……ん?」
「……鍵を海に落としちゃって…」
「……んん?」
「…………」
「…………」
「…………」
「……自分で付けたのか?」
 顔をそらしたまま、少年はこくりと頷いた。
 沈黙が流れる。
 何かに堪えるような、拗ねたような、不思議な横顔だった。
「そ、そっか! 良かった、無理矢理つけられたわけじゃねぇんだな!」
「は?」
「悪い奴に捕まったとか、悪いことしたとかじゃねぇんだな?」
 次の瞬間、心底ほっとした顔を見せたチョッパーに、少年たちはきょとんと妙に幼い顔をした。
「……あははは、シバ、良かったじゃん、笑われなくて!」
「うるせぇ、お前が笑うな!」
 顔をわずかに赤くしたシバと呼ばれた少年は隣の少女にかみつく。怒鳴ることないでしょ、なんでお前はいつも余計なことばっか言うんだ、としばらく口喧嘩が続いた。少しはらはらするが、ゾロとサンジの喧嘩を見慣れてきたチョッパーは多分大丈夫だと判断して口を閉ざす。やがて気が済んだのか、こちらを放置しているのに気付いたのか、シバがそろそろと目を向けてきた。
「……なあ」
「ん?」
「……ここから出る方法が知りたいんだよな?」
「お、おう」
「……条件がある」
「知ってんのか!?」
「ここで暮らしてればそれぐらい知ってる」
 ここで──暮らしているのか、やはり。廃墟と聞いていたが人が住んでるじゃないか。チョッパーは思わずローを見上げるが、ローはこちらに全く視線を向けてこない。見ているのは少年──シバの方だった。
 ローの視線に気付いた少年は、少し怯えたように震えて、それでも強い目でローを睨んだ。
「な、何だよ。さっきのはその…」
「行動に迷っているのはわかっていたが、一番愚かな選択だったな」
 大人しく最初から話し合いに持っていけばいいものを、とローが淡々と言ってシバがかっとしたように怒鳴る。
「うるせえ! お、お前能力者だろ! あれが当たってれば…」
 当たっていたとしても、ローを取り押さえられるものだろうか。海楼石というのは純度でもあるのかどうか、触れたときの反応が能力者によって様々だ。完全に力が抜けてへたり込んでしまう場合もあれば、ロビンやシーザーなど、錠をかけられた状態でも動くのに支障はなさそうな者もいる。手錠は、檻や武器に使われるものと違って少し特別なのだろうか。海軍も、錠を付けた相手を動けなくしてしまっても困るのかもしれない。そうなるとやはり、その海楼石に触れたぐらいでこの子ども3人がローを抑えることなど不可能だろう。少年は海楼石の力を過信しているのか、実際に使われたところを見たことがないのか。
 もしかしたらとんでもなく強力な海楼石なのか。
 いや、大体そうだとしたって、おれも居る。
 おれだって、子ども3人にぐらい負けない。
 そう思ってつい強い目で見ていると、少年が「ん?」とこちらに気付いたように顔を向けてきた。
「さっきの…。…あれ? さっきのお前の能力だよな…?」
 少年がもう1度ローを見る。少年たちを瞬間移動させた力のことだろう。ここでようやくチョッパーの可能性もあることに気付いたようだ。存在をないがしろにされていた気がしていたので、可能性に入れられただけで少し嬉しくなる。少年の疑問にチョッパーは素直に頷いた。
「おお。おれはヒトヒトの実の能力者だからな。ローのはオペオペって言うんだ!」
「お前も能力者…?」
 目をぱちくりさせる少年に、そんな顔をさせたことが面白くてチョッパーは笑う。背後でローはため息をついていた。能力をぺらぺら喋るチョッパーに対してのものだったが、言われないので気付かない。
「それでローを海楼石で攻撃したんだな。でも何でだ? おれたちまだ何もしてねぇぞ」
 海賊なので襲われることには慣れているが。あ、懸賞金か。あれ、でもローは今七武海だから賞金は払われないんじゃ? 知らないのかな?
 と更に疑問が浮かんだが少年は何も答えず歩き出した。少女2人と、ローもそれに黙ってついていく。チョッパーは慌てて後を追った。
「あ、そういえばお前の足枷…」
 引きずられた枷が落ちた人形とぶつかって音を立てたことで、今度はそちらに気を取られる。そこでふと思いついたことを口にしようとした。
「ローの能力なら──」
 傷つけず外せるんじゃないか──言いかけた言葉は、また目の前に突き出されたローの刀に止められる。続いてローが言った。
「それより条件とは何だ? 何故協力する気になった」
 最初は攻撃してきたのに──それも確かに疑問だ。単に負けたからかとチョッパーは思ったが。
 少年は振り返らずに言う。
「……条件はついてくれば話す。あと、お前らはさっきの話…」
 笑わなかったし…と、小さく消え入るような声でつけたされた。
「ん? 自分で足枷つけて外せなくなった話か?」
「……」
「それ以上言わないであげてー。恥ずかしい話だから」
「うるせえよ!」
 それが、協力を申し出た理由か。
 正直ほっとしたことで、その間抜けさに気付く余裕すらなかった。ローはローでただ呆れていただけだったが、特に声も出さなかったからか、少年には笑わなかった、という事実だけ残ったようだ。
「今までそんなに笑われてたのか? 何でだ? 外そうして頑張ったんだろ? 足にすげぇ傷痕あるし、きっかけがなんでも、今困ってる奴を笑うなんて。そういえばそれっていつ頃付けたんだ? 一年二年じゃねぇよな? もっと小さい頃か? 海賊ごっこしてたなら…」
「あの…タヌキくん、そろそろ止めてあげて」
 少年をからかっていたはずの金髪の少女が何だか強張った顔で言う。
 せっかく笑わなかったのに、触れて欲しくない部分に延々触れてしまっていることにはチョッパーは気付いていなかった。そして呑気に思う。ここに来たのがルフィじゃなくて良かったと。
 お前間抜けだなーと大笑いする様子が目に浮かぶようだった。
「……って、おれはタヌキじゃねぇっ!」
 ワンテンポ遅れた突っ込みのあと、ようやくお互いの自己紹介が始まった。


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